★七夕と天の川(天野川)についてのQ&A

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七夕の歴史
七夕歌について
天の川の自然について
宇宙の天の川について

七夕の歴史

Q. 日本の国で七夕行事が始められたのはいつ頃ですか?
A. 日 本で最初に七夕行事を始めたのは、渡米人で、織物の技術の上達を願って「乞巧奠」と言う形で行っていたものと考えられます。宮中でそれらしきものを行った のは、記録されたもので見る限りでは持統天皇が初めてで、「日本書紀」によれば、六九一年七月七日に宮中で公卿を招いて宴を催し朝衣を賜ったと有ります。
Q. 笹飾りのルーツは?
A. 笹 飾りは、もともと七夕行事とは何の関係もなく、元は、田の虫避けなどの農事儀式として古くから伝えられたものです。現在、何処にでも見られる細工を施した 笹飾りは、江戸時代の末期からの事で、四方に青竹、若しくは枝付きの葉竹を立て主連を巡らせ短冊などを飾り付けたものが、七夕飾りに流用されるようになっ たと考えられます。
Q. 短冊はどうして飾られるのですか?
A. 「短冊」と書いて「タンザク」と読み、「短笏」と書けば「タンジャク」と読みます。今では両方の読み方が混じり合って使われています。古い時代には「短冊」ではなく「梶の葉」「多羅葉」が七夕飾りに使われていました。
葉の裏に和歌などを書き記して和歌の上達を願って七夕に飾っていました。
江戸時代になると一般の人達が、田の虫封じの呪いのために短冊で飾り立てていた笹飾りを、七夕飾りとするようになってから七夕の笹飾りとしても用いられるようになったと云われています。
Q. 短冊とその使われ方について教えて下さい。
A. 「短 冊」は、木や竹を薄く板状に割り削って紐などで繋ぎ合わせた物を「冊」と言い、繋ぎ合わせのないものを「簡」と言って紙のない時代には書物の役割を果たし ていました。時代がやや下がるといろいろと大きさや形が変えられる「笏(こつ)」と言われるものとなり、金・銀・玉・螺鈿・飾り紐などで美しく飾り立てら れたものが、王侯貴族達のアクセサリーとして宮中の行事に際して使われるようになりました。紙が使われるようになりますと、形は元のままに、儀式での行事 の順番を書き記したり、メモ代わりに使われるようになりました。
Q. 短冊はなぜ五色なのですか?
A. 七 夕の笹飾りの五色の短冊のルーツは、「木・火・土・金・水」の五つのものの働きによって生まれたり滅んだりするという中国の「五行説」に求めて、短冊の色 を、赤・青・黄・白・黒の五色として、墨と同じ色の黒を紫色に代えて、宇宙の物の形の移り変わる様子を顕すものと言われています。

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七夕歌について

Q. 七夕の詩歌はいつ頃から作られるようになりましたか?
A. 約三千年前、中国の「周」時代の詩を書き連ねた「詩経」という文書の中に牽牛・織女の事が取り上げられているのが最初と言われています。
日本の国では、奈良時代の養老年間の終わり頃に、山上憶良と言う万葉歌人が歌っているのが最初です。その歌とは「万葉集」の巻ノ八・1518番に
天の川相向き立ちて吾が恋し
君来ますなり紐解き設けな
(天の川で二人向かい合って立っています。私が恋しいと思って居る人が会いに来てくれるらしいわ。サァ!身支度を整えて待ちましょう。)
山上憶良は、万葉集の歌人の中では最も多い十二首の七夕の歌を遺しています。

「笹の葉サラサラ」の歌詞でお馴染みの「たなばたさま」の歌は、昭和16年3月、文部省発行の「うたのほん(下)」に掲載されました。
作詞者は権藤花代と林柳波、作曲は下総白完一と記されています。
Q. 交野ケ原に縁のある七夕の歌にはどんなものがありますか?
A. いくつか有りますが、古くから全国的に知られているものとして「古今集」の在原業平と紀有恒の旅の歌があります。
伊勢物語八十二段には同じ歌が物語風に仕立てられて、二人が天の川の畔で交わした次のような歌が有名です。
◇古今集巻ノ九〜418

狩暮らし棚機乙女に宿借らん
天の河原に我は来にけり

(刈りをしてして日が暮れてしまったので、今夜は織姫星の家に泊まろうよ。
天の川にきてしまったのだから。)
◇古今集巻ノ九〜419

一年に一度来ます君を待てば
宿貸す人も有らじとぞ思う

(織姫星は年にたった一度訪ねてくる彦星を待つ身であるから、他の人には宿は貸してくれないだろう)
と詠んで助け舟を出したといわれています。

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天の川の自然について

Q. いつ頃から「天の川(天野川)と呼ばれたのですか
A. 古代天の川の周辺は底湿地で稲作が行われており、その稲作を讃えて「甘野川」と読んでいましたが、清流が太陽に照らされて川床の小石が銀河のようにキラキラと輝いて見えたことから宇宙の銀河になぞらえて、天の川と名付けられたと云われています。
時期は定かではありませんが、奈良から平安朝のはじめと推定されます。
一級河川としての正式名称は「天野川」です。宇宙の天の川に対して野に流れる川の意味で命名されたのかもしれませんが、私たちは多くの平安歌人が歌に詠んでいるロマンあふれる「天の川」を会の名前としています。
Q. 源流はどこにありますか?
A. 天 野川にそそいでいる川は、天の川を清流にする会の資料では、16川あります。(別項参照)我々が実際に調査したところでは、本来の源流は四条畷市と生駒市 の境界を通って墓地の中に消えています。その辺りはあまりにも開発が進みすぎて、天の川にふさわしい風情が全くなくなっているのは悲しいことです。
そこで、私たちはもうひとつの支流に、七夕にふさわしい笹が生い茂って中にもうひとつの源流を見つけました。私たちはまだ開発の進んでいないこの地がいつまでも自然のままに残されることを願って天の川七夕星まつりの会の源流と定めることにしました。
河川を管理する大阪府の資料では、
左岸:四条畷市大字上田原1115番地先
右岸:生駒市南田原2080番地先
Q. いくつの市町村に跨っていますか
A. 大阪府:枚方市、交野市、四條畷市、奈良県:生駒市の4市です。
Q. 総延長何キロメートルですか?
A. 流路延長:平均14,896M
左岸:14,864M 右岸:14,928Mです。
Q. 天野川の支流にはどのような川がありますか?
A. 支流は16あります。
1.溝谷川 2.北川 3.野々谷川 4.がらと川 5.免除川
6.前川 7.私部川 8.小久保川 9.尺冶川 10.土生川
11.北谷川 12.弍川 13.寒谷川 14.星田妙見川 15.茄子作川
16.藤田川
(番号は右岸河口より源流、左岸源流より河口へ)

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宇宙の天の川について

Q. 天の川」と「星座」の関係について教えてください。
A. 「天の川」は「銀河」と呼ばれ、夏の夜空に北から中天を通り南の地平線にかけて、ほの白く濃淡のある雲のように見えます。
実体は星の集まりなのです。
「天の川」を挟んで西に「こと座」、東やや南側に「わし座」があり、二つの星座の間、北よりに「天の川」と重なって”白鳥座”があります。
近年、夜空が明るすぎて、肉眼で「天の川」を確認するのは大変難しくなりました。天の川のことを、英語では「Milkyway」と云います。英雄ヘラクレ スが赤ん坊の時、女神ヘラの乳房をあまりに強く吸ったため、ほとばしり出たミルクが夜空(天球)を一周した後だそうです。
これは有名な「ギリシャ神話」の一つです。
「こと座」の琴はギリシャの神ヘルメスが作り、異母兄弟のアポロンに譲りました。
「白鳥座」の白鳥も、ギリシャの神のゼウスが化身した姿だと言われています。
「わし座」で最も明るい星が”1等星”の「アルタイル」で両側に並ぶ”3等星”で鷲の頭部とみて、やや南の3等星を中心として東西に開く2個の”3等星”を結ぶと、羽を広げた大鷲のイメージができると思います。
Q. 織り姫(織女星)と、彦星(牽牛星)について教えてください。
A. 「織女星」と「牽牛星」は、中国の「七夕伝説」に由来しそれぞれ「こと座のベガ」、「わし座のアルタイル」と同じ星です。
年に一度、織り姫と牛飼いが合う日は、旧暦の7月7日の行事ですから、太陽暦の7月7日では30日ほど早く、「天の川」は中天から30°程であまり高くなっていません。
「牽牛星」を「彦星」とか「牛飼い星」などど呼び、「白鳥座」の「デネブ」を「あと七夕」とか「ふる七夕」と呼ぶ地方もあるようです。

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天球図

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