昨年(2006年)の七夕伝説の源流を訪ねる旅(シリーズ1)に続いて、今年は漢水沿いにある老河口市を目指した。老河口市を目指したのは魚住孝義氏著『万葉集・天の川伝説』(中国・老河口紀行1992年発行)を読んで以来、常に目標としてきた。 関空〜上海〜武漢〜老河口〜襄樊〜上海〜関空(最小でも4泊5日の旅となった) 上海・浦東空港で現地ガイドの王建明氏と出会った。初対面の40代の男性である。国内便で武漢行の乗換まで3時間ほどの時間を空港の喫茶室で待った。中国の飲食物に関する評判は良くなかったので全員で暖かい飲み物を注文し、水は飲まないことにした。 旅 行 日 程
武漢空港に東方航空のMU2510便が着地した時には日は落ちて暗くなっていた。 出迎えの女性ドライバーの車で長江大酒店に向かう。武漢には現役時代に配線器具の技術者と市場調査の為に来たことがあるが、その時、ガイドの紹介で民 家の配線器具を市場調査したが、日本人であることを気付かれないように途中は無言で団地内の民家にたどり着くという状態であった。しかし現在の市街地は見 違えるような都会になっており、前回に行った飯店も団地の存在すらも思い出すことが出来なかった。翌朝、長江の畔に出て、長江に架かる鉄道と自動車の 二重橋と、はるかに霞んで見える対岸の黄鶴楼を見てようやく当時の面影を偲ぶことが出来た。 武漢周辺は鍋底に例えられるほど酷暑で有名なところなので覚悟して来たのだが、気温は日中でも33℃くらいで35℃を超していた大阪よりも凌ぎやすかった。しかし、スモッグによる不透明感はこの後4日間絶えず体験させられることになった。 作家・湯礼春先生との出会い 私は、1992年発行の魚住孝義先生の『万葉集・天の川伝説』に登場する湯礼春先生との出会いを長年待ち望んでいた。武漢のホテルで8時30分の待ち合わせ時間にロビーに行くと、初対面だったが、お互いに直ぐに相手に気がつき近寄って握手を交わしました。 『万葉集・天の川伝説』に掲載さた湯礼春先生の「漢水連天河」(漢水天の川に連なる)の詩及び、画家:脇本弘氏の「漢水と天の川」の挿絵を見てどう しても現地に行こうと数年前から計画を立て、魚住孝義先生の自宅に連絡を取ったが、既に故人となっておられ、また湯礼春先生の消息を探す のに3年の歳月を要した。 漢水連天河 漢水は天の川に連なっている 作:湯礼春 意訳:鳥居貞義 協力:劉道学
長距離ドライブ 武漢から老河口までは約400kmで、美しく整備されているが、他の車はほとんど見られない高速道路を快適に走った。ガードレールも緑色に塗装するなど景 観にも気配りがされていた。老河口では『万葉集・天の川伝説』に登場する老河口賓館に泊まり、賓館前の織女を思わせる大理石で出来た天女像に逢えることを期 待して来たが、写真で見た老河口賓館天女の像も見出せないほどに町中は変貌していた。 宿泊する梨花湖賓館は中庭が駐車場になっており、周囲が宿 泊棟、食事棟、娯楽棟に囲まれ四合院を思わせるような建物配置になっていた。建物は鉄筋様式で、宿泊する4階の部屋まではエレベータは無く、荷物は各人で 運ぶことになり、息子が頑張ってくれた。老河口市では『万葉集・天の川伝説』の中に挿入されていた挿絵の「天の川に連なる漢水」の場面を想像しながら散策し たが、現在はスモッグと光害とダムによって想像することも難しい状況であった。漢水沿いの公園では大勢の老若男女が楽器を弾いたり、歌を歌ったり、中国式 のトランプをしたりして、団欒を楽しんでいた。湯先生も多くの旧友を見つけて握手を交わされていた。 ダム湖へドライブ 漢水(天の川)を上流へ発電出力がアジア最大といわれるダムに向かって車を飛ばした。途中は20年前の田舎を思わせるような悪路が続いた。ダムで堰きとめ られた川は大きな湖になっており遊覧船(5人で300元)に乗った。真夏にもかかわらず、往復1時間の船旅は快適であった。往路の終着点は小さな島になっ ており、上陸してしばし休憩をとった。此処から見渡す湖面は海のように広くカイドの王さんによると小太平洋と呼ばれているそうだ。途中何隻かの船にも出 会ったが、湖は広くところどころに小島があり、おおかたは無人島だが中には山羊や牛が放牧され、人家らしきものも見えた。これらの島はダムに水が溜まる以 前は山頂で、現在の湖底は80bの底にあるとの事であった。ダムからの放水はごく一部しか行われていなかったので、ダムの下流では水浴びしている 男女が見られた。今日の宿舎の襄樊市へは予定を変更して工事中の悪路をfile:///D:/_%83z%81%5B%83%80%83y%81%5B%83W/%8E%B5%97%5B/%8A%EE110112/genryu/tyuugoku2/tyugoku2.htm避け、老河口市を経由せずに襄樊市へ直行することにした。
襄樊市(じょうはんし)と老河口市について この地域は下図組織図のように市の中に更に市があるという複雑な組織になっている。老河口市は比較的有名(戦時中日本軍が老河口作戦をした)だが、襄樊市 (じょうはんし)というのは今回初めて知った地名だった。中国では簡体字が標準になっているが、何故か辞書にもない複雑な文字の地名になっている。この点を 現地の人にも聞いたが、理由はよくわからなかった。但し、三国時代から有名な地域で劉備玄徳が三顧の礼をもって諸葛孔明を迎えた事でよく知られた場所、 諸葛孔明の寓居が今も残され観光地となっている。長安でも見たような高い城壁に囲まれた襄樊城は項羽が守った難攻不落の城であり、外堀は漢水に連なって いる非常に幅の広いものになっていた。
交流会について 湯礼春先生(55歳)は武漢の生まれで文化大革命の影響で襄樊市(老河口市)で青年期を送り独学で作家活動を始め、現在は湖北省作家協会会員。 湯礼春先生は小柄で、非常に人懐こく私とはお互いに言葉が通じないのでガイドの王建明氏を通じての話し合いとなったが、七夕伝説がテーマであるだけに 通じ合うところが多くあった。8月19日(旧暦7月7日)の漢水民族文化専門家との交流も先生のお陰で約20人ばかりの学者・専門家の前で、日本の七夕祭、 全国七夕サミット、西安大茘県・大壕営村の七夕祭について卓話をして後、テレビ取材や意見交換会をした。意見交換会では主として中国に於ける七夕祭の復活 と日本の笹飾りについて話をした。中国では笹飾りの風習はないので、「なぜ笹を使うのか」といった質問があった。最後に持参した短冊に参加者の皆さんにも 「願い事」を書いて頂いた。当地では西安大 茘県・大壕営村のような七夕祭は特なく、当初予定していた夜の見学は中止された。この日に約一万人のお見合い大会が催されたと後で聞いた。また西安大 茘県・大壕営村のときと同様にバレンタインデーとの混同が当地でもあるように聞いた。バレンタインデーと七夕祭は起源も目的も異質のものなのでこのよ うな混同が無いことを望んでいると訴えた。 襄樊市作家協会の皆さんに日本及び陝西省・大茘県・大壕営村の七夕まつりの状況について説明 (襄樊市民会館にて) 天の川七夕星まつりの会の法被姿で説明する筆者。 通訳はガイドの王建明氏 ビデオ及び卓話による説明後、意見交換(地元局のテレビ取材を受ける) 右より湯礼春先生、王建明氏、筆者
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